平成23年7月24日(日)に石川町中央体育館で行われた昇級昇段審査において、また一人玉川分支部から新しい黒帯が誕生しました。
 今回見事10人組手を完遂した草野光紀君ですが、昨年の9月に型審査を合格した後、骨折・震災・KOによる仕切りなおしと様々な困難にぶち当たり、10人組手完遂まで実に10ヶ月もの月日を要しました。
 そんな草野初段の努力の軌跡をご覧ください。


10人組手完遂までの軌跡

 一回目 一人目  いわき道場生と対戦。平成23年5月15日)
 光紀君の力強い回し蹴りから始まり、その後は受けては返す静かな攻防戦が続く。
 しかし、一瞬の隙を突いて
電光石火の左上段回し蹴りが見えない角度から光紀君のあごをとらえ、くずれる様にその場に倒れる光紀君。
 回復後、本人は続けてやりたがったが、岡崎師範より「あれだけ綺麗に決められたら、続行は危険だ」という事で次回へ持ち越しとなってしまった。
  


 二回目 一人目 浅川道場の須藤三成君と対戦。
 前蹴りから入る積極的な攻めが有効。
 相手の前蹴りをしっかり捌いて受け返しの蹴りも決め落ち着いた組手をしている。


二人目 須賀川道場の渡邉海晟君と対戦。
 下段蹴りの猛攻で相手のバランスを崩す。殆どの攻撃をしっかりと受け冷静であった。

 三人目 いわき道場生と対戦。
 昨年のロシア青少年大会で優勝している強豪。
 相手の攻撃に少し押され気味。上段前蹴りをもらうも果敢に突きの連打で応戦。


 四人目 いわき道場生と対戦。 
 前回の10人組手の一人目でKO負けをした相手のため、緊張が走る。
 開始前に手をパーン!と合わせ自分に喝を入れる光紀君。前回同様左上段に回し蹴りをもらいそうになるが、今回は手でガードして回避。前回の経験が生かされている様子。
 上段前蹴りと突きで攻め、相手の間合いにさせないため、積極的に前に出ていた。

 五人目 会津道場生と対戦。
 少し疲れが見えてきたのか、突きの連打と上段回し蹴りをもらう。
 中盤は突きで応戦。しかし足払いで倒され下段突きを入れられたが、技有りにはならずに無事5人目終了。

 六人目 会津道場生と対戦。
 体が少し大きめの黒帯が相手。
 途中大きく気合を入れ、突きと下段蹴りのコンビネーションで攻め込む光紀君。

 七人目 石川道場の吉田美咲さんと対戦。
 大分疲れが出てきたのか、開始前に前かがみのまま真っ直ぐに立てない。
 師範の喝が入り、その後しっかりと立つ。
 開始早々いきなり美咲さんの上段前蹴りが顔面を捉える。美咲さんの前に出る圧力に耐え、しっかりと攻撃を返している。
 後半は強烈な突きと時々出る上段回し蹴りに苦しむ。

 八人目 白河道場の阿部凪紗さんと対戦。
 今年の全日本青少年大会で第3位になり、今勢いに乗っている相手。
 光紀君の中段回し蹴りが凪紗さんの脇腹を捉える。さらに、中盤で光紀君の放った上段回し蹴りが相手の顔をかすめるなど、ここにきて動きが良くなってきた。
 後半再び大きな気合を入れながら相手に突きを叩き込み終了。

 九人目 石川道場の吉田謙太君と対戦。
 ずっと稽古してきた仲間。開始前に疲れを吹き飛ばそうというかのように気合を入れる。
 序盤から謙太君に冷静に下突きを入れられ技が出せなくなる。何度目かの下突きが効いて苦しそうに顔をゆがめる光紀君。その様子に大きくなる皆の声援に応えるかのように大きな気合を入れて立ち向かう。
 「技を返せ!」の増子分支部長の声に反応し、甦ったように突きを返す。

 十人目 玉川道場の酒井裕之指導員と対戦。
 これまで教えていただいた酒井先生がラストの相手。
 酒井先生が愛情を込めて下段を入れると光紀君の動きが止まる。押され気味の光紀君に再び増子分支部長から「下がるな!」の声が飛ぶ。
 そこから歯を食いしばって一発一発に気合を乗せ、意地でも前に出る光紀君。
 下段突きで倒されても、体重の乗った下段蹴りをもらっても、痛みや苦しみを気合で跳ね除けてやっとの思いで10人組手を完遂。気持ちが前に出ている立派な戦いぶりでした。


黒帯に聞け! The 一問一答
 さてここで、ガラリと雰囲気を変えて、塩澤初段にいろいろとインタビューをしてみましたのでご覧下さい。(インタビュアー:増子サヤカ) 


Q 黒帯を取ろうと思ったきっかけはなんですか?

A 小さい頃から空手をやっていたし、1級まで取って途中で終わる事は自分が許さなかったからです。


Q 審査前の気分はどんな感じでしたか?

A 1回目の十人組手が一人目で終わってしまったので、またあの日のようにならないかとても心配でした。


Q 何を考えながら組手をしていましたか?

A とにかくガードを下げないで、倒れてもすぐに立って、途中で終わらない事だけを考えていました。


Q 10人と戦ったわけですが、特に印象に残っている相手や組手の内容などはありますか?

A 吉田謙太先輩との組手で、腹に一発くらっても気合で耐えたことが印象に残っています。


Q 10人組手完遂直後はどんな気分でしたか?

A やっと終わったという達成感でいっぱいでした。
   そして少し気持ち悪かったです。


Q 審査の前後にかけられた言葉で心に残っているものがあれば教えてください。

A しっかり覚えているのは、審査後の「よく頑張った」「すごかったよ」といった単純な言葉です。
  審査前は集中しすぎてよく覚えていません。スイマセン(´`;)


Q 昇段に向けて自分を追い込む中で一番辛かったことはなんですか?

A 大好きなコーラを飲まないようにした事です。


Q 光紀君は怪我や震災等不運が重なって十人組手完遂までの道のりが長かったですが、その間どうやってやる気を維持していましたか?

A それは、母からの支えや先生方の言葉を胸に秘めながら、十人組手をやり終えた時の自分の姿をイメージしてやる気を維持しました。


Q サヤカ先生から受けた厄払い(あまりに不運が続くので、厄払いと称して光紀君の背中を思い切りひっぱたいた)は効果がありましたか?
  
A (しばし困ったように沈黙した後)結構あったんじゃないっスか(笑)


Q 例えばどんな効果がありましたか?(笑)
  
A 日常が平凡になりました(真顔)。それまではいろいろ不運な事がありましたからね・・・。


Q 今までの空手人生の中で『これがあったから今の自分がいる』と思うことはなんですか?

A これと言った物はないですが、やっぱり母や先生方がいて今の自分がいます!!ハッキリ


Q 10人組手を終えて、自分の中で空手に対する考え方や人生観など何か変化はありましたか?

A 人生観では、特に、諦めなければ少なくとも成功出来るのかな〜と思えるようになりました。


Q どんな黒帯(指導者)を目指したいですか?

A 入門当初から指導してくださった増子広行先生です。
  増子先生には9年間ご指導していただきました。尊敬する先生です。


Q 黒帯を目指す後輩へアドバイスをお願いします。

A 黒帯を取るには体力をつけることが一番。
  そうじゃないと最後までもたない。だから早めに体力はつけた方が良い。
  あとはガードをずっとあげること。



 以上で質問は終わりです。ご苦労様でした。
 

 最後に、黒帯を取得すると必ず書かされる作文があるのですが、空手を始めたきっかけや黒帯を取ろうと思った経緯などがまとめられていますので、こちらに載せたいと思います。


黒帯への軌跡
 自分は、小学一年生のときから極真空手をやり始めました。
 最初は、なんとなくでやり始めました。そして、だんだんと楽しくなってきて、このまま続けて行こうと思いました。しかし、級が上がっていくごとに組手の相手が強くなり、負ける事が嫌になり、空手に行かない日々が多くなりました。比較的普通の子より体が小さく、力も無く、その時はただ『嫌だ嫌だ。』と言うだけで自分の組手を改善しようともせずに駄々をこねるだけでした。しかし、母に支えられながら、道場に渋々行く事もありました。
 それが中学一年まで続きましたが、耐久性がついてきたからかその頃から組手が少しやりやすくなり、また自分から少しずつ道場に通うようになりました。そして初段になるために型や組手の稽古に励みました。
 型の審査に合格し、いよいよ十人組手に挑戦しましたが、一人目で倒されてしまい終わってしまいました。とても悔しい思いで一杯でした。次こそは絶対に達成してやると決意しました。
 そして、二回目の十人組手で、必死に、倒れても何度でも立って、やっとの思いで十人を達成する事が出来ました。あまりの嬉しさに涙が出てしまいました。その時初めて、空手をやっていて本当に良かったと思いました。今振り返れば、組手が嫌だから道場に行かなかった自分がバカバカしく思えます。
 今、自分が極真空手をやってきて学んだ事がやっとわかりました。我慢強さです。それは、肉体や精神の我慢もありますが、何か別の物です。言葉では表せない別の我慢強さがあります。そして、初段だけではなく、さらに上の弐段に挑戦する決意をしました。
 恩返しというわけではありませんが、出来るだけ空手を続けたいと思います。

草野 光紀

あとがき 

光紀君は幼少の頃から小柄で線が細いということもあり、組手の大会ではいつも辛い思いをしてきました。
 
ある時お母さんから、「うちの光紀はもう限界と言っています。」と話がありました。その時は「とりあえず辞めるという決断は待って、じっくり基本稽古をして型の大会を目指しましょう。」と伝えましたが、光紀君はそこから人知れず頑張り、型の全国大会に出場するまでになりました。
 
中学生になると体も大きくなり、少しずつ組手にも自信が出てき始めました。また、棒術にも力を入れ、積極的に型・組手・棒術・自由組棒の大会に参加し、大会で少しずつ勝てるようにもなりました。
 機が熟しようやく昇段審査を受けられるようになり、型の審査は1回で合格することが出来ました。勢いに乗って3ヶ月後の10人組手に向けて稽古を積み、調整に入った審査の一週間前に、道場稽古の10人組手で脇腹に突きを受けて骨にヒビが入ってしまいました。
本人はそれでも十人組手をやりたがりましたが、相手に「ヒビが入っているから…」と手加減されて取っても嬉しくないだろう?と岡崎師範に諭され、泣く泣く審査を見送りました。光紀君の十人組手はそこからまたさらに3ヶ月後の平成23年3月に延期となりました。
 そして
いよいよ気力体力が充実してきた矢先に、まさかの東日本大震災にて審査会の中止。体育館や武道場が避難所として使用され、稽古場所の確保もままならず、審査会の会場もなかなか見つからない中で気持ちだけが焦っていた事と思います。なんとか会場が確保出来、審査会の開催が決定したのが5月でした。
 稽古量は十分とは言えないまでも出来る限りの努力をして向かえた10人組手の日。
10人組手の1人目の相手は、全世界青少年空手道選手権大会で第3位の実績を持ついわき道場生でした。開始数分後、電光石火の上段回し蹴りが綺麗に決まり、光紀君は衝撃の一本負けをしました。さすがに心が折れてしまうんじゃ…という周りの心配を余所に、翌日の稽古に顔を出した光紀君を見たときは本当に嬉しく思いました。
 
そして、今回の7月に再チャレンジして見事完遂。心が何度も折れそうになりながら、1年近くかけて10人組手を成し遂げた彼は、多分玉川分支部で1番辛い思いをした黒帯ではないでしょうか。
 この苦労は、これからの人生できっと役に立つことでしょう。
これだけの苦労をした光紀君にしか語れないものが必ずあると思うので、これからも自信を持って自分の稽古と後輩の指導に頑張ってください。

分支部長 増子 広行