玉川分支部サポーターを代表してハンガリーへ同行した増子サヤカが、型チームと行動を共にして見て来た9日間の様子をレポートにまとめてみました。
 共に泣き・共に笑い・共に闘って来た全記録です。それではどうぞ。

★9月29日(火)

チェックインカウンター前にて
「行ってきます!」

 小雨のパラつく中、集合時間の午後2時に玉川村役場前に到着した私達(私・増子先生・小池由希子さん・吉田亜紀さん)は、皆同様の不安を抱えている様子でした。
 忘れ物は無いか?スーツケースの重量は20キロを超えていないか?5人分の荷物は岡崎師範の車に乗り切るのか?等々…
 数分後に到着した岡崎師範の車に難なく収まった私達と荷物は、一路成田空港を目指して出発しました。
 途中酒々井パーキングで亜紀さんのお母さんが差し入れてくれたお弁当を美味しく頂きました。沢山のおかずとおにぎりの愛情がこもった素敵なお弁当でした。亜紀さんのお母さんごちそうさまでした。
 お腹も満たされたところで成田空港近くのUSAパーキングを目指して再度出発しました。USAパーキングには先に廣重副館長がいらっしゃっていて、酒々井パーキングにてすでに合流していた石島師範とも一緒になり、皆でパーキングの送迎バスに乗って成田空港へ向かいました。

シャルルドゴール空港内
CDG空港内。既に表記はフランス語

 成田に着いて暫くすると、エールフランスのチェックインカウンターには続々と支部長の先生や代表選手、そしてサポーターの方々が集まり始めました。そこでの話題はもっぱらいくら両替するべきか?といった事で、私達も例外なく両替の話をしていましたが、一万円を両替すると何フォリントになるか?という話のときに「10フォリントが日本円で4円くらいなんだって」と私が言うと、「じゃあ20フォリントで8円ですね」と言い切った亜紀さんの言葉が未だに笑えてしょうがないです。一万円まで遠い…(笑)
 飛行機に預ける荷物は一人当たり20キロまでで、それを超えると1キロ毎に8千円程支払わなければならないらしいのですが、大会での演武に使用する瓦やバット、棒なども持って行かなければならないため、それら荷物の重さの分配が結構大変でした。私達は二人分を一つのスーツケースに詰めて行きましたが、それが一人分の重量をオーバーしなかったので、丸々私の分を瓦の重量に充てることが出来ました。
 21時55分に出発の予定だった飛行機はパリの時間が短いための時間調整とかで(機長の説明をいまいち聞いていませんでした)、10分ほど遅れて離陸しました。到着時間は日本時間で午前11時15分。7時間の時差があるため現地時間は午前4時15分の予定です。


空から見た風景

 離陸後暫くして早速機内食が出されました。メニューは鱒の燻製、いかのマリネ、パスタサラダにメインがカントリー風牛肉のソテー・ペンネパスタ・グリーンピースと舌平目の雲丹ソース添え・貝柱・椎茸・ご飯のチョイス、チーズ、レモンケーキ、飲み物といった感じで、肉を選んだ増子先生は不満そうでしたが、魚を選んだ私はそこそこ美味しくいただくことが出来ました。それ以降は時差ボケにならないために寝る努力をしましたが、持参した携帯枕がしっくり来なくてとても寝苦しかったです。浅い眠りを繰り返し、寝ることに疲れた日本時間の午前5時。そこからは各々本を読んだりしながら過ごし、到着前に出された軽めの朝食を食して無事にパリのシャルルドゴール空港に到着しました。

★9月30日(水)

 外国に来たという実感がないままブダペスト行きの搭乗口前で一時解散した私達は、それから5時間を空港内で過ごしました。搭乗口まで来る途中に見かけた売店に行きたいという増子先生に従い、亜紀さんと由希子さんに小林仁美先生を加えて今来た道を戻って行きました。ところが行けども行けども売店が見えてこないので途中で増子先生が走って見に行き、自分が思っていたより相当遠くにあったことと開店が6時からだという事実を突き止め、諦めて再び搭乗口まで折り返す…といった出来事もありました。
 まだまだ外は暗く、上手く暇を潰せないまま空港内をウロウロしていると、オープンしたてのカフェに岡崎師範を見つけました。…が、勝手に席に着いていいものか?どうやって注文したらいいのか?とわからない事だらけだったので、皆で師範の前をウロウロしてみました(笑)
 するとそれに気付いた岡崎師範が「本場のカフェオレは美味しいぞ」とご馳走して下さりました(感激)ユーロは使わないだろうとフォリントにしか両替していなかったので本当に嬉しかったです。岡崎師範、ご馳走様でした!
 再び手荷物検査を済ませる頃には窓の外が白み始め、朝の訪れを告げていました。ゲート内は時間が経つにつれて人が多く賑やかになっていき、私達もジュースや軽食を摂ったり、売店を冷やかしたり、人間ウォッチングをして時間まで過ごしました。


フェリジ空港前にて

 再び飛行機に乗り込み、現地時間の午前9時35分にパリを飛び立つと、ブダペストまではあっという間に着いてしまいました。ブダペストのフェリジ空港を出た私達は、ホテルへの送迎バスに乗り込み外国の風景を楽しみながらホテルへと向かいました。


ホテルのロビーにはこんな看板が

 今回選手団が宿泊したホテルはタヌビウスホテルアリーナというところで、試合会場のスポーツアリーナに隣接するとても綺麗なホテルでした。チェックインを済ませると本来なら選手受付が始まるはずでしたが、他国の選手団の大半が明日現地入りするということで選手受付と審判講習は明日に延期となりました。
 予定の空いた日本選手団は、金子支部長の後に着いて近くの中華料理店で遅めの昼食を摂りました。昼食後はこれまたホテル近くにあるショッピングプラザへ行くことになりました。滞在中に必要なミネラルウォーターを購入する予定でしたが、ハンガリーのお土産として有名なパプリカパウダーやトカイワインなどを見つけたのでお土産の買い物の大半をここで済ませることが出来ました。もちろんミネラルウォーターも購入しましたが、日本と違ってハンガリーではミネラルウォーターに炭酸ガスが入っている物の方が主流なため、よく吟味して購入してきたつもりだったのですが、ホテルに戻って早速飲んでみたら炭酸入りの水だとわかってかなりがっかりしました。
 その後夕食を済ませた私達は、大3本小2本購入した水の炭酸をペットボトルを振る事で人口的に抜き、蓋を開けたままにして明日の朝には普通の水になっている事を祈りながら時差ボケにならないように21時には就寝していました。


ハンガリーの町並み

宿泊先のホテル

お世話になったショッピングプラザ前にて

★10月1日(木)

 早めに就寝したせいか午前4時に目が覚めた増子先生は、部屋で少し身体を動かして調子を確かめていました。生ものは避けたとはいえ現地の食べ物を食した後でしたが、体調を崩している様子もありませんでした。そこから二度寝して6時に起床し、型チームで集まって朝食を摂りに行きました。
 事前の説明では午前9時から選手受付が始まる予定でしたが、これが10時に変更になったことを受けそれまでホテル内のジムにて稽古をすることになりました。各々型の動きを確かめたりしていましたが、岡崎師範が非力の養成をやって汗をかいておくといいと言っていたことを思い出し、えの字立ちと四股立ちの移動を行いました。外国人選手が見ていたため若干見栄を張った増子先生は、つい数を多くやりすぎてお尻が筋肉痛になっていました。その後は時間いっぱいまで自由に稽古し、いい汗がかけたところで選手登録をしに向かいました。

 選手登録会場はとても混雑していて中々進まず、ようやく選手登録が終わってもゼッケンを縫いつけるのにまた長時間待たされていました。ロシアでは同行したお母さん達が道着にゼッケンを縫い付ける作業をしたと聞いたので今回は私も裁縫道具を持ってきていましたが、ハンガリーではミシンで縫いつけるところまでやってくれたのでとても親切だと感じました。
 その後再び金子支部長の後について近くの中華料理店へ昼食を摂りに向かいました。このお店はご飯がパサパサしているものの野菜もたっぷり摂れるし美味しいので、今回も安心して食事をすることが出来ました。ハンガリーでは水とコーラが高く、ビールのほうが安いという説明を聞いた後で、増子先生は遠慮することなくコーラを注文していました(笑)


お世話になった中華料理店

 ホテルに戻った私達は、再びジムに集合し朝の稽古の続きをしました。個別に型の稽古をしている皆を、私はそこにあったバランスボールに乗りながら見ていました。しばらく経った頃、岡崎師範が様子を見に来てくださいました。審判講習会が難航している…と疲れた表情を見せつつも、稽古している選手達を満足そうに見て「俺がここにいると雑談ばっかりでお前らの稽古の邪魔になるから行くよ」と戻って行かれました。
 空いた時間で再び近くのショッピングプラザへ向かうことにしました。というのも、部屋のシャンプーが補充されないので買う必要があったからなんですが、皆で歩いていると途中でどこかの国の極真会館の選手団に会いました。言葉はわかりませんでしたがなんだかとてもフレンドリーで、一緒に写真を撮ろうというので道行くおじさんを捕まえて写真を撮ってもらいました。流派や国が違うとかそんなことはここハンガリーの地では全く問題ではなくて、世界大会という大舞台を目指して稽古してきた同志としてお互いに受け入れあっている感じがとても素敵だなと感じました。もちろん『押忍』は万国共通語で、色々な国の人がいても「おはよう」「こんにちは」「こんばんわ」「失礼します」「ありがとう」は全て『押忍』と言えばなんとかなりました。押忍って便利(笑)
 さて、2回目のショッピングセンターですが、前回はその中のスーパーにしか行かなかったので今回はそこ以外の店舗も見て回ることにしました。ピザハットがあったり寿司バーがあったりRushのようなバスボム屋さんがあったりとなかなか楽しめました。でも一番ときめいたのは写真のアイス屋さんで、シングルコーンがたったの150ft(約60円)なのにとっても美味しいんです!大会が終わるまでは体育館とホテルの往復しか出来ない私達にとって、このショッピングプラザに来るのが唯一の楽しみでした。


フルーツが丸ごと入っています

お腹の弱い増子先生のジャストサイズ

ショッピングプラザ店内

寿司バー。カリフォルニアロールが主。
少しだが握りもある(主にマグロ)

選手説明会の様子

ウェルカムパーティーの様子
テレビカメラも来ていました

 ホテルに戻ると17時から行われる選手説明会に出席するため体育館へ向かいました。そこでは主にルール説明が行われ、組手においてのガッツポーズの禁止や反則技、型の入場の仕方などについて説明がありました。3カ国語くらいに通訳して説明するのでとても時間がかかりました。
 その後にホテルのパーティールームにて開かれたウェルカムパーティーでは廬山館長から挨拶があり、そこに集まった全員がこの大会の開催を喜んでいるような盛り上がりでした。


大会が行われるアリーナの外観

★10月2日(金)
 今日からいよいよ世界大会開幕です。
 目が覚めた私達は朝一で体育館へと向かいました。他の選手団が朝食を摂っている間に試合場の感覚を掴もうという狙いです。
 すでに体育館入口には黒服のSPの人達が立っていて、なんだか物々しい雰囲気になっていました。これから受付で配られる通行証を手首に巻きつけていないと大会期間中はアリーナに入る事は許されないという説明を入口で受け、細長い紙の様な物を手首に巻きつけられていました。私は型チームの貴重品預かりの役目があったので、スタッフ用の白い通行証を巻きつけてもらいました。ちなみに選手は黄色です。
 受付を済ませアリーナへ行くと、昨日の選手説明の時点では椅子しか無かったそこに立派な試合場が3つも出来上がっていて感動しました。

 早速試合場に上がった選手達は、足場の感覚を確かめながら軽めに型を打っていました。日本で良く使われている緑と赤のマットに比べ、足が滑らないしマット自体に弾力が少ないのでとても型が打ちやすいと言っていました。
 軽く汗を流した後朝食を摂りにホテルへ戻り、開会式に出席するべく再び体育館へ戻りました。朝の厳戒態勢に少し怖気づいた私は、観客と自分とを明確に区別してもらうため持参した審判の服装で体育館に行きました。けれど受付で「ユー、ジャッジ?(あなたは審判か?)」と聞かれ、スタッフとは答えたものの『もしかして逆に怪しい!?』と急に自信が無くなり、なんだか嘘を付いているようで一日中落ち着かない気持ちで過ごしました。挙句の果ては写真を撮るのに客席とアリーナの間をうろうろしているところをSPに止められ、手首に巻いているものを見せろというようなジェスチャーをされてしまい、正直ビビりました。慌ててかなり大振りな動作で通行証を見せましたが、追い出されたらどうしようと気が気じゃなかったです。


開会式の様子

試合の様子は巨大画面にも映し出されます

 さて、選手控え室になっている広い空間にはすでにアップを始めている組手の選手もいて、異様な緊張感が漂い始めていました。
 日本語での案内は皆無で、他の選手達の動きを見ながら日本選手団も行動するというような感じでした。
 始まった開会式は全てハンガリー語で進行していくため、いつ選手宣誓が行われたのかさえよくわかりませんでしたが、どうやら滞りなく進行したようでした。選手入場の際にだけ流れた『空手バカ一代』のテーマを聞いた時、その耳慣れた音楽になぜかホッとしました。
 型の予選は明日に行われるので、特に予定の無い型チームは一日中組手チームの応援に3コートある試合場の間を行ったり来たりしていました。世界大会ともなると交通機関の影響などもあるのか欠場する選手が目立ち、選手呼び出しの「ラストコール」が何度も試合場に響いていました。
 日本の選手は善戦しながらも有力選手が敗退するなど厳しい試合が続き、セコンドに入れない型チームは少し離れたところから声の限りに日本選手を応援しました。
 余談ですが、日本では一段高くなったメインコートを第一試合場というのに対し、ハンガリーでは入口に近いほうから第一試合場となるらしくメインコートを第二試合場とコールしていました。しかもそのコールの仕方が「タタミナンバー1」「タタミナンバー2」と言っていてちょっと面白かったです。
 お昼ご飯は金子支部長の計らいで選手と審判の先生には日本食のお弁当が差し入れられました。私はどっちにも当てはまらなかった為、遠慮して増子先生の分の朝ホテルで配られた昼食(ハンバーガーとジュースとりんご)とお弁当を少し分けてもらって食べました。
 この日予定されていた試合は午後3時頃に全て終了し、型チームは明日からの戦いに備えて十分に休息をとることが出来ました。


外の空気を吸いながらお弁当を食す型チーム

明日から頑張ろう!

大会にゲストとして来ていたジェラルドゴルドーさんと

セコンドとして来ていたセームシュルトさんと

★10月3日(土)


ハンガリーの朝焼け

あの横断幕はここに掲げました
詳しくは玉川分支部の9月のニュースを
ご覧下さい

 いよいよ型チームにとっての世界大会が始まりました。
 目が覚めてから何度も気合を入れる増子先生を見て、私も気が引き締まる思いでした。早めに朝食を摂ったあとすぐにアリーナへ向かい、まだ人のいない試合場で最後の調整を行いました。私はそんな増子先生の姿を日本で待つ道場生に伝えるため、ビデオと写真のアングル探しをしていました。
 控え室に戻ると、入場口の直ぐ脇に試合順が張り出されているのが目に留まりました。事前に配られた試合順とは全く異なる順番に変更になっていました。参加選手は男子28名、女子18名。男子9名、女子3名が欠場になっていて、そのために順番変更になったのかな?と思いました。
 型の試合は男子の部、女子の部それぞれ同じ審判で試合を行うということで、男子の審判が28名を通してやると疲れて正確な審判が出来ないから…と選手を半分に分け、間に女子の試合を挟むことで休憩を取るというスタイルで行われました。


 吉田亜紀選手

小池由希子選手

増子広行選手

 男子の部の日本選手団は3名とも後半の部に入っていたので、まずは女子の試合を見守ることになりました。
 今大会が世界初挑戦となる吉田亜紀さんが2番目、小林先生が8番目、小池由希子さんが15番目でした。様々な流派が出場しているということもあって、極真館ルールに慣れた私の目には「癖」や「不正確な動き」にしか見えないものでも、その流派ではそれが正しいとなれば減点の対象にはならないので全く結果が予想出来ませんでした。なおかつ地元ハンガリーの選手が登場したときの大歓声を聞いてしまうと、この選手は私が知らないだけで物凄く実績のある選手なんじゃないだろうか?と不安に駆られることもしばしばありました。
 続いて男子の予選が始まり、井上雄太さんが後半の部トップバッターで演武し、増子先生が5番目、伊熊先生が6番目と続きました。最後の一人が終わるまで気の抜けない試合展開の中、ビデオを片手で構えながらもう片方の手でデジカメを操り、慣れないハンガリー語で発表される得点を紙に書き写している間に予選はあっという間に終わってしまいました。


この日は焼肉弁当でした

 結果は、小林先生1位、由希子さん4位、亜紀さん5位、伊熊先生1位、増子先生2位、井上さん3位で全員が予選通過を果たしました。由希子さんと亜紀さんは順位が低かったため若干落ち込んでいるようでしたが、ここで弱気になっちゃいけない!と一生懸命励ましました。予選通過出来たんだからまだ追い抜くチャンスはあるんだよ!と。
 その後は気持ちを切り替えて、力の限り勝ち残っている組手の選手の応援をしました。
 ちなみにこの日も日本食のお弁当が差し入れられましたが、沢山お仕事をした気分だったのでちゃっかり一ついただいちゃいました。足りなくなってたらすみませーん(汗)


アリーナ入口は厳戒態勢

メインコートを照らす照明

★10月4日(日)
 ついにこの日が来ました。
 4年間この日のために自分の時間を削り、甘えてくる子供達に我慢をさせ、職場の方々に迷惑をかけながら空手に打ち込んだ日々をぶつけるその日がやって来ました。
 増子先生は前を見据えて「いよいよだ。絶対勝ってくるよ」と静かに闘志を燃やしていました。
 日本から持ち込んだご飯と味噌汁で朝食を摂り、前の晩に冷え込んだブダペストの街を歩いてアリーナへ向かいました。選手全員の眼差しが変わっていました。
 試合場はメインコートだけを残して客席になっていて、メインコートの上には大きな照明が降りてきていました。2日に行われた開会式とは異なった趣の開会式が始まり、日本でおなじみの開会太鼓の後にハンガリーの人達による和太鼓の演奏があり、館長挨拶や来賓祝辞、大山総裁のドキュメンタリーの上映、氷川神社の宮司さんによる大山総裁の慰霊祭、地元の親子達による寸劇、大会主題歌の披露など内容盛りだくさんでした。
 選手控え室で待つ増子先生はなかなか試合が始まらないことにかなりイライラしているようでしたが、長い開会式のせいでビデオのバッテリーが残り少なくなってしまい、しかも当てにしていた予備の充電池が使えないことがわかってホテルに戻ったりとバタバタしていた私には、増子先生の精神的なフォローまで手が回りませんでした。


決勝での増子先生

決勝での亜紀さん

決勝での由希子さん

 そんな中、ようやく型の本選が始まりました。昨日までは自由に行き来出来たメインコートの裏側にも柵が置かれて容易に通れなくなっていたため、私は支部長の先生方と一緒の席で観戦することにしました。
 暗がりに浮かび上がる照明に照らされたメインコートに、次々に選手が上がっては演武を終えて降りて行きました。6番目に井上さんが上がりました。隣で村椿先生が「雄太頑張れ!」と言いました。緊張の糸を張りつめ、勢いのある型を打って井上さんは舞台を降りました。日本男子のトップバッターを見事に務め上げた井上さんの頑張りに、先生方全員で拍手を送っていました。
 続いて増子先生が舞台に上がります。選手紹介のアナウンスが終わる頃、私は光の中で緊張しているであろう増子先生に少しでも余裕が生れるよう「頑張れ!」と声を掛けるつもりでした。けれど、アナウンスが終わるか終わらないかの頃にスッ…と集中する様子が見て取れたので、邪魔になってはいけないと声をかけるのを止めました。「五十四歩!!」型名を告げ、演武が始まりました。何処と無く硬い…そんな印象を型に持った時、最初の気合の声が思いっきり裏返りました。「力みすぎてる!!」そう思ってからは心臓が潰れそうなくらい苦しくなり、どうか失敗を引きずらないで頑張って!と祈っていました。息の詰まるような型が終わり、得点が読み上げられました。暫定1位。もうその頃から緩み始めた涙腺をどうにかなだめすかし、最後の演武者である伊熊先生の型を静かに見届けました。
 伊熊先生の型は安定していて静かな迫力に満ちていました。得点が読み上げられ、0.4ポイント差で増子先生は負けました。
 「負けた…」そう思ったらとたんに涙が止まらなくなりました。そんな私に村椿先生が「おめでとうございます」と声を掛けて下さりました。頷くのが精一杯で笑顔を見せることが出来ませんでした。


メイン画面に映すため様々な角度からテレビカメラが撮影していました

 続いて女子の決勝が始まりました。型チームサポーターとして亜紀さんと由希子さんの勇姿を写真に収める仕事があるので、私は一旦気持ちを押し込めて女子の演武を見守りました。亜紀さんは世界大会初出場とは思えないほどの堂々とした演武で、学校の先輩のカラーリングの練習台になったために明るめに染まった髪の毛も相まって眩しいくらいに輝いて見えました。続く由希子さんも彼女の持ち味である軸のしっかりした安定感のある型を打ち、福島市にある大学に通いながら、週3のペースで稽古のためだけに新幹線で帰省していた日々の苦労を存分にぶつけた素晴らしい型でした。そして、伸びやかで力強い小林先生の演武が終わり、予選の結果は覆ることなく型チームの世界大会は終わりを迎えました。
 しばらくして型チームの元へ様子を見に行くと、皆が泣いていました。喜びに泣く一方で悔しさに涙する者がいる、でも皆で今までの労を労い、無事に終わったことと入賞した選手の事を喜びあっていました。私に気付いた増子先生は少し悲しそうな申し訳なさそうな顔をして「優勝出来なくてごめんね。次は絶対優勝してみせるから」と言いました。そのとたんこみ上げる気持ちに頷くだけで精一杯になり、私は涙を堪える事を諦めて泣きました。そして、泣きながら伊熊先生のところへ行き「優勝おめでとうございます!」と言いました。固い握手を交わしながら伊熊先生は「これからの型チームを引っ張っていくのはやっぱり増子先生だから、これからも増子先生を支えてあげていってください。男はいつまでも甘えん坊だから」と言ってくださいました。
 選手控え室に戻ってもいつまでも涙の止まらない由希子さんと亜紀さんに、私の胸を貸してまた一緒に泣きました。「頑張ったんだから泣いてもいいんだよ。いっぱい泣いて、明日には気持ちを切り替えて観光して帰るぞ!」そんな慰めにもならない私の励ましに、段々と二人の顔にも笑顔が戻ってきました。


岡崎師範の迫力ある演武

岡崎師範はバットと瓦とブロックを全て成功させました

 その日は組手の本選の他に各団体の代表者の演武があり、岡崎師範と石島師範の演武やハンガリー支部長の演武に加え、なぜかサンバダンサーのダンス披露もあって、全ての日程が終わったのは午後10時を過ぎた頃でした。表彰式の後にメインコートの上で記念撮影をして、入賞した型チームの面々の胴上げもしました。私の友達が書いてくれた横断幕を持った写真も撮りました。終いにはスタッフの方達に追い出されるように会場を後にし、疲れた身体に鞭打って重たいトロフィーをホテル4階の自分達の部屋まで持ち帰りました。
 長い一日はまだ終わらず、その後私達はホテルのパーティールームで行われるさよならパーティーに出席しました。ウェルカムパーティーとは違いお酒が提供されていたので会場は大いに盛り上がり、国や流派の垣根を越えて拳を交えた者同士、歌ったり踊ったり記念撮影をしたりして楽しい時間を過ごしました。


表彰式の増子先生

胴上げされる増子先生

福島県の代表選手と

★10月5日(月)


街で見かけた世界大会の看板

有名なくさり橋

 長かった世界大会も終わり、ハンガリーまで来ているのに体育館とホテルの往復のみだった私達が、ようやくこの国を見て回れる一日がやって来ました。岡崎師範の先導でホテル直ぐ横のスタジオノック駅から地下鉄に乗り、くさり橋・王宮の丘を巡った後自由行動になりました。
 私達はヴァーツィ通り・聖イシュトヴァーン大聖堂・ハンガリー国立歌劇場(外観のみ)・英雄広場を巡り、東駅の構内を通って最後はいつものショッピングセンターで買物をして帰って来ました。一日で約10km近い距離を歩いたため足は痛み、雪駄を履いていったセッターマン井上さんの足は真っ黒になっていました(笑)それでも、とてもいい思い出になりました。
 ホテルに戻った私達はしばしの休憩の後、ドナウ川クルーズに行くために再びロビーに集合しました。結局クルーズは船のエンジントラブルのため中止になってしまいましたが、皆が集まったついでにトロフィーを持ち帰る手段についてどうするか相談していました。当初言われていた船便は使えないと言われてしまったので、飛行機で持ち帰る方向で考えてみても重さがネックになって追加料金が発生するし、箱なども無いため破損する危険性もあってまさに八方塞がりでした。皆で頭を捻ってもどうやって持ち帰ったらいいのか全く思いつかず、諦めかけたその時に廬山館長が通りかかりました。「何をしているんだ?」と声を掛けてくださった廬山館長に事の次第を説明すると、館長も大会でいただいた名誉市民の盾など大きな物が沢山あるので船便が使えないと困ると大会事務局に言ってくださり、なんとか船便で日本に持ち帰れる事が決まりました。最悪の場合写真だけ持ち帰ろうと言っていたので、本当に良かったです。
 その後は岡崎師範と支部長の先生方に混じってブダペストの夜の風景を見ながら近くの焼肉店へ行き、ハンガリーでの最後の夜を楽しみました。

★10月6日(火)―7日(水)


凱旋門前にて

 ホテルでの最後の食事を終えるとフロントが混む前にチェックアウトを済ませ、私達はバスに乗り込み空港を目指しました。
 一週間近くも滞在したので、なんだか名残惜しいような不思議な感覚でした。
 2時間半のフライトの後パリのシャルルドゴール空港に降りたった私達は、乗る予定のパリ発成田行き(23時35分発)までの空き時間に凱旋門を見に行く事にしました。
 地下鉄を乗り継いで約1時間半かけて辿り着いた凱旋門はとても大きく荘厳でした。シャンゼリゼ通りを歩き、凱旋門の上に上ってパリの景色を一望したところで集合時間になりました。帰りがけ、遠くに望むエッフェル塔が20時の時報と共に光り輝いたのが印象的でした。
 再び空港へ戻り、10時間のフライトを経て日本時間の18時に無事成田空港に到着しました。廬山館長の労いの言葉を聞き、一本締めをして解散しました。そこから車で3時間程をかけて玉川村役場へ戻り、それぞれの家路につきました。

★その後の事
 帰国した翌日に玉川道場の稽古があったので、報告も兼ねて顔出しに行きました。時差ボケのせいで自分の周りの空間だけが歪んでいる様な酷い感覚に襲われていましたが、稽古終了30分前に道場に行くと由希子さんが稽古に来ていてびっくりしました。「さすが若いね〜」と声を掛ける増子先生に「増子先生が来ると思って頑張って来たんですよ」とちょっとキレていました(笑)
 人のトロフィーは見飽きたという生意気な道場生達も、メダルの重量感にはさすがに感動していました。増子先生は優勝出来なかったことが悔しくて、会う人会う人が口を揃えておめでとうと言ってくれるのを最初は複雑な気持ちで受け取っていたようですが、準優勝という結果は結果としてありがたく受け止め、優勝を目指して更なる努力をしようというように段々に気持ちが変化していったようでした。
 「俺は諦めないよ」そう言い切った増子先生からは今までにない逞しさが滲み出ているようでした。

−END−